シンガポール、L・A、サイパン、ハワイ、ダラス、パームスプリングス、シカゴ、ミシガン、シドニー、ケアンズetc.・・・。
カメラマンの山ちゃんと、いろいろなところで撮影をしました。CMを驚くほどの数を撮り、アーティストのPVもたくさん撮りました。
松田聖子ちゃんの作品も、CHAGE&ASKAの作品も山ちゃんとやりました。
20年近く、僕の作品は山崎英則の作品でもあります。
そんな山崎さんが、54年という短い人生を閉じてしまいました。
本当にあっけない幕切れです。
その第一報を聞いた時、僕は『何で!!』と、大声を上げてしまいました。
プロデューサの加藤正七は、かかってきた電話に『本当に、山崎は死んだのですか!?』と
大粒の涙を流しながら、怒ったような声を出していました。
悲しいとか、残念とかというよりも、僕は悔しくてなりません。
シナハンに山ちゃんが来ないので、心配になった僕たちは、仕事をしながら、
山ちゃんの行方を捜しました。
そして、僕たちは、山ちゃんに起こった悲劇の報告を、電話で受けることになるのです。
もう少し早く捜してあげれば・・と、どうしても悔やまれます。
あんなに、優しい人はいませんでした。
あんなに、誰からも愛される人を僕は知りません。
役者を目指している21歳の僕の次男は、中学生の頃に誰よりも一番に、
役者になりたいことを、山ちゃんに相談したといいます。
『夢があるなら、自分の夢に正直に突き進むのがいい!!』
と、山ちゃんに言われ、彼は役者の道を目指すことを決心した、
ということを最近知りました。
業界の厳しさを知っている親の立場から言うと、
『止めてくれよ!!』と思ったものですが、山ちゃんがいなくなった今考えると、
次男にとって山ちゃんの言葉は、本当に説得力のあるものだったのでしょう。
山ちゃんの葬儀の朝、『引退しようかなぁ』と、ふと漏らした僕に
『何バカなこと言ってんだよ!!それじゃ、山ちゃんが喜ぶわけないじゃん』
と彼は、涙を目にためて僕を叱りつけました。
僕は、いつも夢ばかり語る山ちゃんに、『夢でご飯は食べられないからね』
と、悪態をついていました。
でも、こんな不況の時だからこそ、夢を語ることが大切だ、ということを
山ちゃんは自分の死を持って教えてくれたのかもしれません。
山ちゃんの葬儀が終わってすぐ、次男はオーディションの会場に急いで行きました。
その背中を見ながら、山ちゃんの夢はここに生き続けている、と明確に明確に思いました。
山ちゃんのいない原田組は、本当に寂しいです。
でも山ちゃんの夢を、スタッフ全員で引き継いで、
山ちゃんが天国で嫉妬するくらいの作品を作り続けていくことが、
何よりの供養だと、やっと今思えるようになりました。
ありがとう、山ちゃん。そして、さようなら。
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