その瞬間を未来に残し続けるということ

こんにちは。原田信宏です。

弊社のクライアントである小川珈琲が、フォトコンテストを行っています。こちらの企画・実施に私も携わったのですが、思えば私はカメラとは縁遠い生活をしてきました。日常生活でどころか、旅行に行って写真を撮ったという記憶すら、ほとんどありません。

高校生のときにオーストラリアにホームステイしたことがあります。私が通っていた高校の姉妹校がメルボルンにあり、そこに通う生徒の家に2週間ほどステイしたのでした。ホストファミリーのお母さんは、私がカメラを持ってきていないことに驚いていました。なぜあなたはカメラを持ってきていないの? と聞かれた際(厳密に言うと、そう聞かれたかどうかは解りません。私は英語もろくに聞き取れないのに、オーストラリアにホームステイするという若き勇者だったのです。私はそう聞かれたのだろうなということを、彼女の顔、口振り、その日の天気、お腹の減り具合、世界情勢などから推測しました)にこう答えました。「心の中にシャッターがあるからです」

この言葉は、今思うと、いかにも赤面ものです。そのとき読んだ小説か何かに影響されたのでしょうが、なんとも臭いセリフを言ってしまったものです。そしてこのセリフは直接的にも比喩的にも誤っています。直接的に言うと、私の心にシャッターなどもちろんありませんし、比喩的に言うと、そんなことを言えるほど、私は記憶力がよくないからです。(生まれたときからの記憶しかないのです)

しかし、客観的に残らない主観的な思い出は、心の中で醸造され、年月とともに美しく光っていくということも事実なのだと思います。記憶の中で、私が過ごしたオーストラリアでの日々は、写真が切り取る芸術性とはまた違った叙情を今でも立ち上らせてくれます。その記憶によると、私がステイした家のお母さんはレベル ウィルソンみたいにキュートだったし、お父さんはヒュー ジャックマンみたいにダンディでした。私の1個下のホストブラザーのティモシーはクリス ヘムズワースみたいにクールだったし、その妹はマーゴット ロビーと見紛うかの美女でした。私はその家族との団欒で、いくつものジョークを飛ばし、彼らの爆笑と喝さいをさらいました。それが話題になって、ローカルのテレビ局が取材に来たくらいです。現地で通っていたハイスクールでは、3分に1回はクラスメイトに告白されました。

こういうことを言うと、「嘘をつくな」と言ってくる人がいます。嘘ではないと証明できないのが残念です。その情熱も自信もないのは、もっと残念です。結局、心の中にシャッターなどないし、記憶の中にネガもないのだから、そのときそのときをあるがままに切り取ることの出来るカメラというものは、やはり魅力的です。オーストラリアでの日々を写真に残していたら、私の話が全て嘘であることがばれてしまうという点を除いて。

主観的な、心の中に残している過去も素敵ですが、客観的に世界に残り続ける写真も素敵。

皆さんよろしければ、コーヒーと京都のその瞬間の、そこにしかない美しさを切り取ってみませんか?

小川珈琲フォトコンテストについてはこちら
https://www.oc-ogawa.co.jp/news/181102_pana/

関連記事

  1. カオスなご挨拶

  2. 企画書の書き方をめぐる悩み

PAGE TOP