企画書の書き方をめぐる悩み

こんにちは、原田信宏です。

仕事柄、多くの企画書を作成するのですが、いまだに「確固した自分のスタイル」のようなものを確立することが出来ていません。会社は塾や学校ではないので、「これが正しい企画書の作り方だ」と教わることだってありません。というか、そんなものはない、ということなのでしょう。解らないなりに、ずっと自主勉強をしていくしかないのかもしれません。

書店に行けば、しかし、「これが企画書の作り方だ!」という教えや導きに満ち溢れています。WEBでだって「企画書 作り方」と検索すれば18億くらい検索結果が出てくるでしょう(スワヒリ語やクメール語なども含めれば)。それらを全部読破すれば、きっと何らかの答えが見えるのかもしれません。例えば、スワヒリ語は読めないことが解った、ということとか。

しかし、それらを全て読む時間はとてもではないけれど、ない。自分なりに大事なポイントを見つけて勉強し、自分のものにし、さらに自分の中で磨いていくということが大事になってくるのでしょうね。

今のところ、私が企画書を作るうえで大事にしている一つの指針が「自由にしてもいいけれど、基本とTPOをおさえる」ということです。

自由にしてもいいけれど、基本をおさえるというのは、一見、矛盾しているようですがそんなことはありません。何にだって基本はあるものです。例えば、文章だって、私たちは自分の責任において自由に何でも書いていいはずなのですが、「てにをは」の基本を無視してしまったら、意味の通らないものになってしまいます。ファッションだってそうです。私たちはシャツの袖を足には通さないし、メガネのツルを尻には挟みません。

企画書を作成する上での基本とは何か。私は、企画書とは、何らかの問題を解決するためのアイディアを提示するものだと思っています。これはロジカルシンキングと呼ばれるものの初歩の初歩ですが、まず、問題を認識する。その問題を分析し、解決するための課題を浮かび上がらせる。そしてその課題をこなすための施策を提示する。これが企画書の基本です。

それさえおさえれば、あとは自由です。自由といったって、企画書を提示する対象が日本人であれば、フランス語で企画書を作成してはいけません。少し極端な例ですが、TPOとはそういうことです。私は企画書も、ある種の作品であると考えているので、出来ればそれを読んでくれる相手を楽しませたいと考えているし、ちょっとした「驚き」「感動」「可笑しさ」といったものが生まれるような、小さな仕掛けを入れるようにしたいと思っています。ただし、そこにばかり心を砕きすぎると、バランスの悪いものになってしまう。これもTPOです。

また、相手が何を欲しがっているのかということに配慮するのも、大事なTPOです(TPOの使い方が間違っているかもしれませんが、そこは気づかないふりをするのが、このブログを読むうえでのTPOです)。単純に“ビッグ アイディア”が欲しいのか。ざっくりとした予算やスケジュールを知りたいのか、それとも、蟻一匹入れないような、隙のない具体的な予算やスケジュールを知りたいのか。そういったことも大事です。

と、偉そうに書いてきましたが、私は未だ、解っていません。どんなふうに企画書を作ればいいのか。上記したことも、やっとここ1、2年で掴んできたことです。また、小手先ばかりこなれたって、本当に人の心を動かすことなんて出来ないことも解ってきました。私の数少ない経験上の話で恐縮ですが、美辞麗句ばかり連ねた企画書は、やはり、通りにくいようです。一方、書いている自分が興奮するようなアイディアを込めた企画書は、多少企画書として拙くても、“Yes”をもらいやすいようです(また、そういう企画書に限って、表現としても良いアイディアが生まれるようです)。

結局はアイディア勝負かい、と思われるかも知れませんが、今のところ私は、「そうなんだろうな」と思っています。結局は、アイディア勝負。アイディアとは、論理の積み重ねの果てに待っている光を、自分の右脳に当てて、新しく言語化したものです。それはテクニックで補えるものではなく、大げさに言うと、その人の人生のようなものが出てくるのだと思います。だからこそ、“企画書の書き方”なんてものは、本質的に誰かから教えてもらえるものではないし、私は未だに、そしておそらく一生、悩み続けることになるのだと思います。

ところで、試しに、グーグルジャパンで「企画書 書き方」で検索したところ、1140万件のヒットがありました。上位にきているページをいくつか見たところ、非常に勉強になり、企画書に対する悩みが一瞬消えかけたのが悔しいところです。

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