矯正下着ブランド「キモノ」についてのあれこれ

こんにちは。原田信宏です。

皆さん、こんなニュースをご存知でしょうか?

下着ブランド名に「キモノ」、日本文化への侮辱と批判が殺到
https://www.bbc.com/japanese/48767764

詳しくはリンク先のBBCに譲りますが、簡単に言うと、アメリカのタレント、キム・カーダシアン・ウェストが自身のブランドから新しく発表した矯正下着に「キモノ」という名前をつけたことが多くの人の怒りを買っている、ということです。

怒っている人の言い分の多くは「着物や日本文化へのリスペクトがない」ということなのでしょうが、「これは文化盗用である!」という大胆な批判もありました。

このことについて個人的に思ったことをつらつらと書いてみます。

これは文化盗用の問題ではなく、商標問題である

この「キモノ」は下着です。日本の「着物」とは似ても似つかぬものです。アメリカに「着物」の知識がある人がどれくらいいるかはわかりませんが、それでも「着物」の知識がある人は、このキムの「キモノ」を見て「あらこれは日本の着物の一種なのね」とはまず思わないでしょう。「日本の着物は矯正下着なのね」と勘違いすることはほぼないだろうし、いたとしてもどの世界にだってうっかりさんはいるもので、いまだに月に人類が行ったというのは嘘であり陰謀論であると信じている人が一定数いることを考えれば、「ま、そういう人もいるよ、しゃーねーべ」と諦めるしかありません。それにそういう人は世の中の色々なことを誤解しているので、そもそも日本のことも誤解しているでしょう。また、着物を知らない人がいて、このキムのキモノを知り、「キモノ=下着」という認識をしたとしても、そもそもその人は日本の着物を知らなかったわけですから、「キモノ=下着」という認識をするまでのロジック内に「日本の存在」が入ってくる隙はどこにもないわけです。ですので「このことによって世界中に日本の文化が誤解される」という心配は論理的ではないと私は思います。

さて、このキムが、“日本の着物をモチーフにした服をアメリカ人にデザインさせ、「キモノ」というネーミングで商標登録した”としたらどうでしょう。このシチュエーションであれば「文化盗用」といえるのかも知れません。でも、事実はそうではないのです。実際の「キモノ」は、「着物」とは似ても似つかぬ下着なのです。ですので、このことを許せない日本人は「下着をキモノと名付けやがった」というふうに怒るべきであり、「文化を盗まれた」と怒るのはいかにも非論理的です。だって、この件で怒っている人は、例えば日本人である私がゾゾの前澤さんくらい知名度があり、その上でふんどしを「ネオ・キモノ」みたいなネーミングで売り出したとしても、怒るだろうからです。

それにこの「文化盗用」という言葉、もっと慎重に扱わなければならんのではないかとも私は思います。

「キモノ」という“言葉”は日本人だけのものなのか?

なぜキムがこの新しい矯正下着を「キモノ」と名付けたのか、6月27日18時現在では明らかになっていませんが、キムは過去に発表した絵文字アプリに、自分の名前をもじった「キモジ」というネーミングをしたので、今回もそういった“もじり”の一環なのだろう、というのが有力な推測です。というか私は今回の「キモノ」というネーミングをした際、キムが「着物」を意識さえしなかったのではないかとも思うのです。よしんばしたとしても「あら、日本のトラディショナルファッションと同じ名前ね」くらいの軽い考えだったのではないでしょうか。

いずれにせよ、下着に「キモノ」と名付けたことは、日本の文化へのリスペクトのなさの表れである、という評価は私も同意します。上で紹介した記事に「もし私がサリーという名前のブラジャーを作ったら(中略)とても怒る人がいるだろう。」という大学教授の言葉が引用されていますが、まさにその通りだと思います。キムは日本などどうでもいいし、「着物」だってどうでもいいのでしょう。下手をすれば「着物」を知らなかったとも考えられます。これだけグローバル化した時代に、その「無知」を露呈したことは軽率であると言わざるをえません。

しかし、件の大学教授は上のセリフの後にこうも続けているのです。
「非常に無礼なことだし、(中略)着物は日本のアイデンティティー表現だ。キム・カダーシアンに属する言葉ではない」
これに私は「それは言い過ぎではないか」とも思うのです。

確かに「着物」はキムに属する言葉ではないですが、日本人“だけ”に属する言葉でもありません。別に誰が使ったっていいはずです。商標権の問題で、日本のアパレルメーカーが以後、アメリカで「キモノ」という言葉を使えなくなるのでは、という懸念のみがクリティカルであり、それ以外の批判は、言葉が悪いですが「感情的な言いがかり」にしか思えないのです。

日本の文化にほとんど触れたこともない“外国人”が、日本由来の名前を使い、日本の文化とはまったく相容れない商品を創りだした! けしからん! 名前を返せ! 文化を返せ! というロジックが成立するというのなら、日本人になじみの深い「トルコライス」「ナポリタン」「台湾ラーメン」「ミラノ風ドリア」「冷やし中華」といったものたちのネーミングも返上せねばならない、ということになってしまいます。

別にいいじゃない、どーんと構えようよ。

というのが、アメリカのアパレル業界に何の関係もない無責任な立場の私が思う結論です。

真面目なのか不真面目なのかよく解らない記事となってしまいましたが、私はもちろん真面目に今日の晩御飯をどうしようか考えています。

 

(追記)

7月2日、キム・カーダシアンは、ブランド名を「Kimono」から他に変更するとしました。素晴らしい判断だと思います。私は日本人であるからして、彼女への非論理的な日本人の批判に「へいへい」と茶化してしまったわけですが、私が米国人だったらキム・カーダシアンに対して「へいへい」どころか「おいおい」くらいは思ったことでしょう。出来るだけ多くの人が、出来るだけ広い範囲を尊重するような世界になってほしいですね。

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